ジェイジーブラットサウンドオブトウキョウ

石橋敬一

石橋敬一

'52年姫路市生まれ。大学時代19歳でプロになり、納谷嘉彦トリオにて全日本プロ・アマジャズコンテストで3位になる。
'79年渡米し、ボストンのバークリー音大を奨学生として作・編曲科を3年で修了し、首席で卒業する。在学中、<エディ・ゴメスジャズマスターズアワード>、<デューク・エリントンジャズマスターズアワード>を受賞。ボストンジャズ協会からは最優秀ミュージシャンとして<ロイ・ヘインズアワード>の表彰を受ける。又、ダウンビート誌主催の全米・カナダ学生ジャズコンテストでピアニストの小曽根 真とのデュオで優勝する。
'82年卒業直後にニューヨークに移住し、ジョージ・ムラーツの唯一の弟子になる。
在住中に、ビリー・ハーパー、ウィントン・マルサリス、ブランフォード・マルサリス、マーヴィン・スミティ・スミス、ルー・タバキン、ウォーレス・ルーニー、ジェフ・テイン・ワッツ等と共演する。
'84年帰国し、東京に住む。渡辺貞夫、日野晧正はじめ、鈴木宏昌、猪俣 猛、今田 勝、伊藤君子、 ジョン・海山・ネプチューン、渡辺香津美、阿川泰子等多数共演。又、TVのCMや、映画音樂、CDも 多数レコーディングしている。武道館での最大のジャズイベント<ALL JAPAN JAZZ AID>に初回より4回(最終回)まで連続出演する。
'85年より日本テレビの<今夜は最高>に5年間レギュラー出演し、スタジオミュージシャンとしても 活躍し、渡辺真知子、島田歌穂、Gクレフ等の全国ツアーをする。
'87年~'90年、武道館での最大のジャズイベント<ALL JAPAN JAZZ AID>に初回より4回(最終回)まで連続出演する。
'92年、国際交流基金にてインドJazz Yatraに阿見紀代子グループで参加。
'93年、ゲーリー・バートン、小曽根 真グループのタイツアーに参加。
'94年姫路に戻り、ジャズクラブWISH(ウイッシュ)を開店。国内外のミュージシャンを招き、自らリーダーとしてライブを行う一方、'97年NHK教育TV<山下洋輔のジャズの掟>にレギュラー出演する。
'97年NHK教育TV<山下洋輔のジャズの掟>にレギュラー出演する。
'99年、自らプロデューサー兼ベーシストとして発表した、大型新人ジャズ・ゴスペルシンガー越智順子のCD『EXPOSURE』が大ヒットし、コンサートツアー等で全国を飛び回る。
'01年11月、越智順子CD第2弾『JESSE』、'02年11月にはN.Y録音の越智順子第3弾CD『What Do You Want For Love?』 with David Kikoski Trioをプロデュース。
'04年、20年間講師を務めたAN Music School東京校、京都校を退職してプロデュース業に専念し、 韓国No.1ジャズボーカルの<ウンサン>、大型新人ジャズボーカルの<たなかりか>のCDプロデュースをする。プロデュースしたこれらすべてのCDがスイング・ジャーナルVocal部門"ディスク大賞"にノミネートされ、プロデューサーとしても活躍する。
'05年、これまでの34年間のプロの演奏家として培った音楽のノウハウを生かして応用できる個人音楽療法に目覚め、一切の音楽活動とプロデュース業を廃業し、音楽療法の勉強を始める。独自の「音・音響療法」を開拓し、その効果に注目した理研BSI(脳科学総合研究所)の脳信号処理研究チームと共同研究も進める。
'07年、世界で活躍する和太鼓エンターテイメントグループ「TAO」の音楽講師&リズムトレーナーとして九州大分県での指導を行う。「TAO」の'08年度CDにも、おおたか静流と共にゲスト参加する。
現在は、病院や高齢者施設において「音・音響療法」を行う傍ら、音楽講師やライブ活動も行っている。

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